我が家族の旧住所を訪ねて 

1999年8月 中国 沈陽

 会社の出張で瀋陽を訪れる機会が訪れたとき是非父母兄姉が住んでいた街を訪ねたいと想った。

幼い頃母に幾度も聞かされた満州国奉天である。訪中前に現地合弁会社に旧住所の「奉天市北稜区昭成街六段二十四号」が分かるかどうかをファ ックスで問い合わせておき、8月1日の夕方関空から大連経由で瀋陽に到着した。

「北稜区は北稜公園も含めて今は皇姑区に統合されている。役所でも旧住所は分からない」
 



これが今回骨折りしてくれた通訳劉さんの最初の返事であった。翌日の午後、I 副総経理が仕事のついでにと言うことで、その旧住所捜査のため会社の車(運転手付き)を提供してくれた。

瀋陽北駅の近くではないかとの劉さんの父親の言により現地に赴いた。当然の事だが年配までの若い人は旧北稜区の事は聞いたこともなく首を横に振るだけである。



路傍で中国将棋や麻雀を楽しんでいる老人達の記憶のみが手がかりとなった

彼らは旧敵国人の私に険しい視線や荒々しい言葉を投げかける事は一度もなく「どこどこの近くだ」などと親切に劉さんと運転手に応えてくれる。

その言葉を頼りに移動する事6度、旧昭成街についにたどり着いた。が少しばかり疑心暗鬼。最後の決め手は満鉄の社宅と言う言葉であった。
「昭成街の満鉄の社宅には日本人が大勢住んでいた。

そこの角を曲がって・・・・」と麻雀の手を止め場所を皆が口早に教えてくれる。

突き止められた旧北稜区昭成街は近代的な建物の中に煉瓦作りの古い建造物をあちこちに残していた。

その場所は華やかな瀋陽北駅と北稜公園の中間の路地に在った。そこは街路樹が多く閑静で、時代の移り変わりと無縁にやさしくしかし毅然と存在しているかに見えた。父をこの場所に立たせたかったと始めて感じた。


 
2階建て煉瓦作りだったという満鉄の社宅は十年前に鉄筋コンクリートのアパートなどに建て替えられ現存するものは一棟もない  



亡き父の満州引き揚げ回想記 『語り継ぐ戦争体験』

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