2 度 目 の 隔 離
ヤンゴン   2000年9月
ミャンマーから3週間振りに我が家に帰ったのは、バンコック経由のナイトフライトで8月28日の朝であった。
その日と明くる日は公休を取り3週間連続勤務の疲れを癒そうと思っていた。しかし新たな緊急業務が発生し帰国当日出社した。そしてやむをえず翌日も出社となり、翌々日は名古屋に出張となった。

その帰りの新幹線の中できつい脱力感と凄い睡魔がわたしを襲った、完全にこれはおかしい明日はやはり病院でチェックしようと思った。

翌朝、すごい寝汗と呼吸の乱れに驚いた妻に車に乗せられで神戸市中央市民病院の救急外来へ行く。朝の7時である。

女医の診断の結果特に異常はなく呼吸器科へ行って見てくださいとの事。そこで神戸大学病院の呼吸器科へ行き診断を仰いだが、呼吸器関係は異常なし。尿と血液の結果は1週間後に来なさいとのこと。

その夜に38.7℃まで発熱した。ひょっとしたら又感染症かもしれないと思い前にいった事のある大阪市立総合医療センター感染症センターの坂上先生の診断を仰ぐため大阪にふらふらしながらおもむいた。

尿検査と血液検査をすぐにやってくれた。白血球に異常があり炎症反応も出ている。
「すぐに入院しなければならない」、と告げられた。

そして2年前の神戸市民中央病院と同じく又も隔離病棟であった。点滴を継続しながら4日間の検査の結果、
病名は「亜急性甲状腺炎」

この病気の症状の一つであるが体重減少がひどく、通常の78kgが入院時68.5kgとなっていた。

毎日隔離病棟からビルの谷間の大阪城を見下ろしながら3週間の入院生活とあいなった。

10月の3連休の時予定していたダイビング計画は無惨にも流れてしまった。

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