魔のエスカレータ |
1999年8月 大連 大連は新空港であった。 1999年8月瀋陽(旧満州国奉天)から関空へ帰国の途中トランジットする。 日本〜瀋陽便の中国入出国の手続きはこの地でなされる。出国手続きが済んだ後、乗り換えまでの時間つぶしに土産物を覗く。 日本で人気のある美肌クリーム”迷奇”1個45元を6個買った後、エスカレータで2Fに行き土産物屋を冷やかして一巡り。 再び1Fに戻りエスカレータ横の土産物屋に居るとき事故は起こった。甲高い中国語と殆ど同時に日本語で「エスカレータを止めろ!」という緊迫した声が聞こえた。 店員が走り寄り緊急停止釦を押してエスカレータを止めた、が事態を飲み込むのには少し時間がかかった。日本の老人が天井とエスカレータの手摺の間にに頭を挟まれたのだ。 上半身が 手摺に持たれて体が2つ折れになっているその齢70歳位の老人は微動だにしない。止まったエスカレーターをかけよ登った仲間に下まで運ばれ床に寝かされたが殆ど意識はなく、口から胃液?が吐瀉されている。 医者と思える日本人がそばにしゃがみ込み、名前は?(答えなし)私の指を眼で追って,よし大丈夫だ!といって元気づける。 老人の額中央部から頭頂にかけて太線状の陥没痕があるが出血はない。5分もたっただろうか、担架を携えた白衣の救護班がおよそ20人ほどもドヤドヤと走って来た。医師や看護婦からなるその一団は、床に横たわり身じろぎもしないその老人をすばやく担架に乗せると、再びどどど・・・と全員脱兎のごとく走り去った。 怖いエスカレータの事故の状況はこうだ。エスカレータに乗った老人が途中で下を見ようと手摺の外へ首を出す。1Fの土産物屋がよく見えるのだ。しかしその時天井はまじかに迫りアッという間もなく首が挟まれてしまう。 帰国後エスカレータに乗るときチェックしているが、近くのスーパーで似たような状況を発見した。直し途中に障害物を上からぶら下げてあり天井にぶつかるまでに気づくようにはなっている。 |