30万人の洗礼
1999年8月   中 国   南  京  
現地合弁会社の送迎バスで客先へ行く途中、その客先の会社の工場長であるR氏が途中から便乗して来る。

彼はわたしの横に座ると突然30万人と叫んだ。

先の大戦中、旧日本軍が大虐殺を行い30万人の中国人の命を奪ったといっているのだ。

通訳の言葉を聞いても私は分からないふりをして無視しようとした。

すると彼は私が膝の上に置いていた「地球の歩き方 中国編」の南京の項を開いて南京博物館の30万人虐殺の碑を指さし「ここに30万人と書いてある」というのだ。

仕方なく旧日本軍は悪い事をしたが私は戦後に生まれたのだと言った。

彼も明らかに戦後生まれだが肉親から旧日本軍の悪行を聞かされて育ったのだろうか、あるいは学校で歴史の時間に教え込まれたのだろうか。

その日から毎日バスに乗って来るとき 私に罪の償いを求めているかのごと必ず「30万」人というのが挨拶代わりとなった。夜のデイナーに招待したときも「30万人」といって私の反応を窺おうとする。その気配を察したらいつも私は話題を変えたた。「そんな証拠は何もない。その時南京にいたイギリス人記者もせいぜい4〜5万人が限度と言っている。」と言いたかったが旧日本軍が侵略して虐殺をしたのは事実だし、論争に引っ張りこむのが彼の狙いと言うことが分かっているので徹頭徹尾その話題には乗らないことにした。

こんな事が、たまの休日に私の足を当地の南京博物館に向かわせた。虐殺の証拠としては一塊の白骨以外は殆ど写真が主であった。しかもそれらは殆どピンぼけであり、無理に証拠としていると見え迫力に乏しい。裏付け資料としても1級品とはとても思えない。しかしここはやはり日本人として謝り(決して許してはくれないと思うが)、これから新しい関係を作ろうと言うべきだったのかも知れない。戦場となった地の被害者の傷は50年余では癒える事はないのだ。

 閑話休題 食事の話。
毎日のように嘘みたいに安い北京ダック(現地の中国人は南京ダックと言っていた)を街のレストランで中国人スタッフと食べた。そして毎日食べてもあきがこないものだという事に気が付いた。
ただここでも冷えたビールはない時が多く、ほとんどはオンザロックのビールであった。
ホテルで、の朝食は毎日玄武湖を眼下に見ながらのバイキングで旨かった。足の長い美人のみをウエイトレスとして揃えていた。



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