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戦場に架ける橋 カンチャナブリ
 1996年1月

アユタヤからカンチャナブリに行こうと思い立ったのは、前日の土曜日の夜である。

夕食時カンチャナブリという言葉を耳に挟んだ時、学生時代に見た映画「戦場に架ける橋」を思い出した。

当日は夕方6時にバンコックで日本人出張者の食事に参加することになっていた。 

朝8時にホテルを出て車でその橋に向かった。途中では寺院を見学し、カオランという竹の筒に入った餅米を食べながら目的の橋に向かった。

半ば居眠りしながら車に揺られてその橋に着いたのは午後1時であった。

映画では皆が悪戦苦闘したのは木造の橋であったが、今は大きな鉄橋となっており、徒歩で向こう岸まで渡る事が出来る。

しかし良く聞いて見れば映画の舞台になった橋は何キロもジャングルに入ったもう一つ向こうの橋であるとの事で、ここはその雰囲気を味わうだけである。

鉄橋をぐんぐん進んで半分位いった所で対岸をみたら人家があり子供らが河で泳いでいた。

河の中央では遊覧船が音楽をがなりたてている。 

隣接している戦争博物館を覗く。旧日本軍が橋梁建設時に、ここで行った西洋人の捕虜とタイ人に対する虐待の記録と写真が陳列されている。その時博物館内の日本人は一人自分のみ。他の入場者の視線を何となく感じ、居たたまれなくてすぐに博物館を出た。

近くに西洋人の犠牲者の墓地はあったが日本人戦没者のそれは見あたらない。

熱帯ジャングルでの日本軍、捕虜それに現地人による泰緬鉄道の突貫工事を想像する。

映画のシーンが現地の風景にラップする。被害者はむろんの事、加害者の日本兵も又戦争の犠牲者である。 

富治郎叔父はこの鉄道の向こう側ビルマで戦死した。