PAKISTAN          こんな所にも日本人
KARACHI 1999年10月
イスラムの国の印象はは乾いていて、彩りが少なく感じられる。それはこの国では女性は外に出て働くことが少なく街で若い女性をめったに見かけない事によるのかも知れない。

現地の人に聞いた。女性が外に出ることがない場合どうやって伴侶をさがすのだ?。全然問題ないよ、親が探してくれた人が気に入ったら結婚するんだ。
なるほど、昔の日本と相通じる物がある。

ある夜しとしとと雨が降った。3ヶ月ぶりとのことという。傘を差している人はいなくてお祭りみたいにしゃいでいる人々が多い。
雨が極端に少ないこの街では恵みの雨?はみんな嬉しいのだ。

仕事が終わった最終日に建国の父”モハメッド アリ ジンナー ”のお墓で整然とした中にのんびりムードがある衛兵の交代を見た。それから、近くのチョーカンデー遺跡にいった。日干し煉瓦で作ったような独特の建物(右の写真)。これもお墓であり、名前の由来は柱が四角ということからきているそうだ。

帰る間際に3人組にあった。民族服をたなびかせているが色が白く彫りが浅い。
すれちがいざま 日本人ですか? と声をかけられた。千葉のNGOでカラチに来ている親子であった。年に何度もカラチを訪れ教師をしているとのことである。何の教師かは聞き漏らした。

写真を撮って帰国後送付したが残念ながら返事がない。アジアのいろんな所で活躍している日本人は本当にたくさんいて頭が下がる場合が多い。
 
街には軍人が多くあるとき空港から街まで50m置きくらいの間隔で軍人が道路沿いに立っていた。要人が到着する日はいつもこうだと聞いた。帰国してから1週間後に突如クーデターがおこり空港が閉鎖された。
ムシャラフ政権の誕生だった。