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富治郎叔父の戦没の地を訪ねて
ヤンゴン2000年8月
ヤンゴンの8月は雨期でありその日も朝から激しいスコールが断続的に降る雨模様であった。

そこ日本人墓地はヤンゴンの中心から南西に車で約40分位の所にある。

入口のゲートには何の表示もないが整備が行き届いた墓地である。

両脇に墓地が広がる中央の小径を約150m位突き進
むと正面にお堂がありそこが焼香の場所である


道沿いには杉良太郎が寄進した慰霊碑が建っている。


そしてその右手に一際大きい石碑が目立つ、「福岡県戦没者の碑」
であった。

ビルマでの戦没者数は19万人に達すると言われているが、特に福岡県の部隊の戦死者が多かったという。 


故郷北九州若松を出征し、船ではるばる異国の地に来て雨期の山中やジャングルでの厳しい生活、激しい戦闘の中で死んでいった叔父の無念さは如何ばかりだったか。
 

 お堂には線香が用意されていた。同行した小野田さんは静岡の人で奥方の親類がやはりこの地の土となった。

「来れて良かった」と小野田さんは焼香後しみじみとつぶやいた。

私もそう思った。本当にこの地に来られたのは、さまざまな偶然が重なったからであり、それは富治郎叔父が寂しくてこの地に来た私を呼び寄せたのかもしれない。

突然のスケジュールの変更でこの地にお参りが出来たのにも因縁を感じる。