嵐の中の船出
フィリピン マカテイ→アニラオ→ミンドロ島プエルトガリラ(1999年6月)

 その日は朝から風雨があり、波が高くてDS(ダイビングショップ)SUNBEAMのプライベートビーチからは船が出せなかった。折角マニラ(マカテイ)からここまできたのに断念かと思っていたら 『半島の反対側の港から船を出しミンドロ島まで行けば、ダイビングが出来る。』とオーナーの高柿さん。

このDSはマニラの南約100kmにある港町バタンガスから西に車で20分くらいの半島にある。
付近はダイビングポイントが多くDSも数多くある。

 ジプニーに乗り込みバタンガスの港に向かう。
客は関西からの女2人と男3人の5人組、某日系会社マニラ駐在員1人と私の7人である。スタッフはローカルのみ3人で合計10人。

悪路を雨が降り込むジプニーにゆられ20分後に港に着いた。
我々の乗り込む船はまだ入港していない。
その間数人乗りの小舟などが次々に出航するが殆ど屋根がないので客は小雨と波で濡れねずみである。我々の船は屋根付きだと聞いて安心し待つこと約1時間。
来たのは両脇にアウトリガーという横転防止の棹をつけた小舟 −バンカーという− で、凡そ長さ8m、幅1.5mの大きさで15人くらいは乗れそうであった。ミンドロ島まで小1時間のボートツアの筈だった。

  出航してすぐに、屋根は運転席の一部にあるだけでだけで雨には何の役にもたたない事が分かった。港を出ると船は波に翻弄されはじめ容赦なく海水が横殴りに体に叩きつける。進行方向に背を向けその痛さを耐えたが、勿論来ていた服はびしょ濡れ。しかしこれはまだまだ序の口だった

 右正面から砕けて船に飛び込んでいた波が徐々に高さをまし、ついには真上から襲いかかってくるようになった。大波が来るとエンジンが切られその頂上に船は持ち挙げられる。次の瞬間止まりきっていない船は惰性で波間に落ち船底が海面に叩きつけられる。同時に上から滝のように降ってくる海水に洗われる。

凡そ3m位の波だった。 「キャー、イヤー」 同乗の女性達はその都度悲鳴をあげ、一息つくと「大丈夫ですね。船は転覆しませんよね。」と仲間の男性に同意を求めるが「いや、このアウトリガーの船は見かけ倒しでよく転覆するそうだよ」と済ました顔で答える。しかしそれは半ば真実で私もその話は何度か聞いたことがある。しかしこれより小さい船も出航しているのだからひとまずはスタッフの出航の判断を信じたい。

 船は相変わらず波の上にせり上がってはどすんと波間に落ち海水を頭からかぶる。この反復を幾度と無く繰り返し、座ったまま下を向いてひたすら耐えるだけの時が2時間を超えた頃やっと船は波の静かなミンドロ島の島影に入った。

早速そこプエルトガリラの港で店を構えるSANBEAM提携のDSでタンクを調達しダイビングの準備をする。そこから船で近くのポイントまで行きエントリー。
今までの悪天候とうって変わって海の中は別天地、波静かな竜宮城。難行苦行は一瞬にして消失し天国での宇宙遊泳の気分。珊瑚のなかに所狭しとコロニーを作っている熱帯魚と遊ぶこと約40分、至高の時を過ごす。

 まず一満足した後、くつろいでその韓国DSで昼飯を食べて居るとき、始めて自分以外の客ははこの島に泊まる事が分かった。慌てて今日船は戻るんだろうかとスタッフに聞く。
「問題ない、分かっている。」の返事に一安心するが外海はますます白波が大きくなっているような気がする。そしてさらに1ダイブ。ツバメウオやミノカサゴと戯れる事再び40分。浮上した後着替えると早速船を出して帰途に向かう。今日中にマカテイのホテルに戻らなければ明日の帰国に間に合わない。

 スタッフ2人が操船する。乗客は私だけだ。又苦行の2時間かと思ったが風向きが順風だったので大揺れに揺れたが1時間あまりで船は港に着く。大波で桟橋が使えず板一枚を浜辺に渡し、よちよち降りるが船がゆれ途中から海の中にドボン。
服はもとよりびしょ濡れだから別に動じない。岸壁にはすでに迎えのRV車が待機していた。。やはり日本人経営のDSだけのことはあり、この辺がしっかりしており安心できる。再びその車に乗ってSUNBEAMに戻る。
着るものがなかったのでTシャツを買い、着替えて早速マカテイに向かった。いつものように山道を抜けて3時間半。
着いたのは午後8時半である。朝5時にホテルを出てから15時間半のダイビングツアーであった。
そのうち乗車、乗船時間は約10時間である。

 あとがき
   私は1998年11月にフィリピン、アニラオのDS・SUNBEAMでCカード(OW)を取得した。
オーナーはマニラ新聞にいつも広告を出している高柿氏である。客種はマニラ駐在の日本人とその家族が殆ど。このDSは年輩者が多く殿様ダイビング(すべての準備、器財の運搬はショップがやってくれる)が出来るので、何の抵抗もなくすんなりとこの年(ライセンス取得時50歳)でやってみようかなと思ったのだった。ここが出発点だったので、沖縄(宮古島、阿嘉島)に行くようになってから殆どのダイバーが若者でしかも準備を全部自分でやらねばならぬと知った時は戸惑いが大きかった。

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