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エンジントラブルによる欠航
1999年9月 マレーシア クアランプール
クアランプールからの帰国日、早めにチェックインして新空港の中を散策する事にした。
ひとしきり土産物屋などを歩き廻った後、JALのラウンジで時間をつぶした。

ここはボーデイング開始を知らせる案内がなく30分前になったのでゲートに向かった、22時50分発のシンガポール経由関空行きだった。

ゲートのカウンターはどういう訳かすでに人がたくさん並んでいる。何が起こったのか近くにいた空港のスタッフに聞いたら、飛行機がエンジントラブルでキャンセルになったので一人一人代替機の手配を始めているとの事であった。

たまげた私は何人ぐらいいるか人数を数えたら僅かに40人位であったので何とかなるかもと楽観視ししていた。


30分位して自分の番が来た。2時間後に出発する成田便に乗りその後羽田経由伊丹帰着の案が示された。他に選択肢がないと判断しOKした。

私の横に並んでいた観光客の夫婦は、代替便を拒否し只でもう一泊出来る(ホテルは航空会社持ち)と喜んでいた。

何故か私の前に並んでいたタイ人も含め日本人以外の乗客は別のカウンターへ行ってしまった。

結果として関空に朝到着する予定が成田に昼前に着いた。そこから羽田までシャトルバス。羽田からは伊丹は普通シート。

国際線でファーストクラスが国内線でスーパーシートの権利があり私が利用したビジネスシートはその権利がないそうだ。

JALだったが現地では勿論日本についてからも一言もお詫びの言葉はなかった。

私は今でもあれはエンジントラブルではなく乗客が余りにも少ないので意図的に欠航したのだと疑っている。
ジャンボ機に僅か乗客が40人くらいであったのだから。