インド バンガロール 2001年6月27日〜7月8日
早朝3時半にインド国産のTATAのジープでホテルを出た。部屋から枕を持ち込んで長時間ドライブに備える。定宿のバンガロールのメリデイアンホテルから、かの有名なサイババさんが住んでいるプッタパルテイまで約170km、2時間半が往路の予定であり、6時から始まる早朝のダルシャン(サイババが行うミサ)に間に合う筈であった。
ところがこのドライバーがインド人ドライバーとしては希にみる慎重居士であったためプッタパルテイに着いたのが7時前であり、会場に向かったときすでに、ダルシャンが終わった人々が道路に河となって溢れていた。
9時から再度ダルシャンが行われるというので今度は8時前から会場に入り、サイババが座るという椅子から10メートル手前の好位置に陣取ることが出来た。
会場の色合いはピンクを基調色として黄色又は黄金色そして薄いブルーのコンビネーションからなり、おとぎの国のイメージを彷彿させるものがある。豪華な天井からはいくつもシャンデリアがぶら下がっている。床は黒い磨き石で勿論靴を脱ぎ裸足で踏むことになる。その石の上に直接座るので尻が少し痛い。
ちなみには撮影禁止でありX線ゲートを通り入場する。 持ち物は脱いだ履き物、カメラ、手荷物一切認められない。やがて9時前には会場は数千人の信者とおぼしき白衣の人々で埋め尽くされる。
そして突然荘厳なオーという大音響が天井から下がったいくつものマイクから流れ出し、男の声量豊かな低温の歌声がそれに続いてダルシャンは進行していく。
左側の男性席にいた私にその時ちらりとオレンジ色の僧衣を着た人、そうサイババが右側の女性席側の入り口から入場するのが見えた。
しかしサイババは椅子のある祭壇の後ろに入りその後まったく姿は見えない。 連続して止まないマイクの歌声に唱和する信者もたくさんいる。20分ほども続いた歌声がやっと終わり、遠く右手の方角からサイババが会場の群衆の中に入ってくる。
そのサイババが歩く赤い絨毯が私の2メートル前にも敷かれている。
『目の前で彼(神)を拝める』と思った瞬間 彼はこちらと反対方向へ踵をかえし何と通常の出口からスタコラと外に出てしまったのだ。
呆気に取られた大観衆も 数分して彼がそのまま帰ってこないと分かると、一斉に立ち上がり会場から出ていき再び街は人の海となった。
こうして貴重な7月8日(日)の休日は終わり、その日の17時のフライトで再びデりーへ戻った。
何故か残念な気持は少なくチャンスがあったら今度は朝6時前に来て、午後の3時にもあるというミサまで一日中いてみようかという気になっていた。
追伸: その翌年再度訪問しサイババさんを拝見する事が出来た。
しかし買ったばかりの靴を脱いで道路脇に置いていたらアットいう間に無くなっていた。
しかたなくもっとインドに喜捨しなさいというサイババさんのメッセージとうけとったのだ。
写真 左上 ミサ会場入り口 左下 街の風景
右下 サイババ病院
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