インド  2001年
トラブル3連発   デリーからプネ−への出張始末
2001年9月
急いでデリーのホテルを飛び出したのはプネ−行きのフライトの時間が迫っていたからだった。
スーツケースは根城にしているデリーのホテルにデイポジットしショルダーバッグのみで移動することにした。3日後にはこのホテルに舞い戻る予定だった。

その1)パスポートを忘れる
   タクシーに飛び乗り10分後に忘れ物に気がついた。パスポートをスーツケースの中にしまったままだった。しかし引き返すと予約のフライトに間に合いそうもない。エエイとそのまま行くことにした。
パスポートのコピーは財布の中に常時携帯しているのでこれで何とかなるだろうと高をくくったのである。
心配した空港でのセキュリティチェックはデリーもプネーもパスポートのコピーでスムーズに通過できた。
問題はプネーのホテルにチェックインするときに起こったのだった。ビザの確認がいるというのだ。
ビザNo.をパスポートで確認し、宿帳への記載が国から義務づけられているので、ビザのない外国人の宿泊が拒否されたのだった。
迂闊(うかつ)にもこのときまで私はホテル宿泊時にビザがチェックされているのを知らなかった。

「そこを何とか」「国の規則だから駄目だ」の押し問答をしているとそのホテルのダイレクターが運良く通りかかり事情を聞かれた。
彼は事の次第を理解すると素早い処置をとってくれたのだった。デリーのホテルに私の宿泊記録とプネーから帰着後のブッキングがあるのを確認した後、「デリーに帰ったらすぐにヴィザのコピーをファックスで入れてくれれば良い。そのホテルに自分の知人がいるのだ」と言った。
いやあ本当に助かった。インドにはこういう気の利いた人が結構多いのだ。
レセプションのスタッフは「必ずファックスを入れてくださいよ」と出発時に何度も念をおした。
(勿論デリーに帰着後はすぐにヴィザをコピーしファックスを入れた)
とにかく宿泊できホッとした。

その2)パソコンが水びたし
   帰りの機内のこと、ハンドキャリーのショルダーバッグを座席の上の荷物棚に入れた。その時うっかりインドでは特に携帯が必須のミネラルウオータ−のペットボトルを一緒にそのバッグに入れたままだった。
無論通常は取り出すのだが疲れからかついうっかりしていた。デリーのホテルに帰着してからPCを取り出しいつものようにスイッチを入れて着替えた。着替えを終わってPCをみたらまだ画面が暗いままだ アレー? スイッチを入れたのに表示灯は消えたままだしウンともスンとも言わない。パソコンを持ち上げて点検していると水滴がポタポタとPCカードの差込口から落ちた。
ショルダーバッグの中を見てみると半分が湿っている。迂闊にもミネラルをウオータの栓をしっかりと締めていなかったので、機内での気圧の低下時にそのボトルから水が漏れてしまったのだ。出張業務のデーターはすべてこのパソコンの中 絶望で真っ暗。後2週間の滞在中どうやって客先へのレポートを書こう、写真は?グラフは?英語の翻訳は?。ホテルのビジネスセンターは夜8時までだし、何よりデータはPCの中だ。
ドライヤーでPCカードスロットを乾かしたが効果なし、翌朝も懲りずにトライしたがやはりウンともスンとも言わない。・・・・・絶望。
ところが翌々日に仕事から帰ってきて何の気もなしにスイッチボタンを押すと起動したのだ。ソフトも正常に作動する。データもちゃんと保存されている。
きっと内部が乾いてOKとなったのだ。
誰もいないホテルの部屋で思わず「バンザ−イ!」と叫んだ。

その3)血の海
  そしてその喜びも束の間その日の夜中。差し込むような腹痛でトイレに駆け込んだ。
終わって見ると便器の縁に血しぶきが飛んでいる。
そして便器は濃い血の海、大量の出血に愕然とする。
ベッドに横になり考えた。すぐに病院に走ろうか、事情を客先に話して帰国しようか。
そのうち時間と共にだんだん腹痛も収まりほかに症状がない。
インターネットで下血に関して調べると様々な原因が列挙してある。大事に至る確率は50%と自己判断。様子を見ることにした。
結局帰国までの約2週間ビールを控えて過ごした。帰国後すぐに人間ドッグに入り大腸検査等実施したが問題なかった。ヤレヤレ。

今回のインド出張はことのほか疲れた。ジャンジャン
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