雲助タクシーの罠
DELHI 2001年3月 

アウランガバード出張からデリーへ戻ることになったのは激暑の3月25日(日)の夜だった。

行きと同様インデアンエアラインに3時間半も閉じこめられた後の開放感を味わいながら人混みでごったがえす空港の外にでたのは夜9時10分過ぎであった。
私の名前のボードを持って外で待っているはずの迎えの車の運転手が見あたらない。手配してるはずの責任者に携帯で電話するが通じない。

そこへ先ほどから何度も言い寄ってきていたタクシーの運転手の一人が再び「うちのタクシーを使え」という。

空港内のプリペイドタクシー以外は高くて危ないと聞いていたがたかが知れていると彼らの罠にはまる事にした。

彼は小柄で弱そうに見えたのだ。OKというとすぐに仲間を呼んだ、こちらも背は高いが細くて弱そうに見える。彼が私のバッグを一つふんだくるように持つと素早く歩き出した。

おいおい私はパソコンとプリンターの入った重いバッグを持っているのでそんなに早く歩けないのだ。

駐車場内を100mも行った所で私はついに彼を止まらせることに成功した。

しかしそこはすでに彼らのテリトリーだったようだ。駐車場内ではあるが空港出口からは見えにくい。
車はどこだというとすぐに来るといい、2〜3分間して最初の男が運転するアンバサダー(インドの代表的タクシーモデル)が来たので乗り込んだら、「いくら払うか」という。
いよいよ山場にさしかかった。「VasantContinetal-Hotelまでいくらだ」と聞くと「495Rs」というので、「馬鹿を言え、200Rsだ、これでも高い」と応えた。

「我々はここで4時間も待ったのだからまけれない」。と少しは理にかなった返事。同情の余地はあるが日本人としてなめられてはいけない。
「では別のタクシーに替える」というと、「かまわないよ、どうぞ」と動じない返事、だが一人はドアの前に立ちはだかっており降りられそうにもない。

2個の重いバッグを持って混雑する空港付近まで戻る気にもなれない。暫く睨み合った後「よし分かった300Rs払おう」。二人は顔を見合わせ 
「しょうがないOK」といったがその後たたみかけるように二人一緒に「今払え」。
私は「絶対払わない、着いてからだ」。「OK、OK」。

こうしてだんだんボレる客ではないと分かったかに見えた細い方が外からドアを閉めながら、「わっかた350Rsだね」と言った。
危険はないと体が察知したせいか何だか非常に腹が立って「馬鹿もん、何いっているんだ」と日本語で叫んでしまった。「おまえもまだそんなことを言っているのか」と運転席の男にも言った、男は「分かった分かった300Rsだ」と完全に諦め商談は成立した。

しかしまだ完全に終わりではなかった。車が動き出して暫くすると「ホテルは予約しているのか、安くて良いホテルがあるが」という。「当然予約している、Vasant」へ行けと無視。

 乗った事はないが普通プリペイドタクシーで街まで200Rs、私のホテルまではその半分の距離でおそらく150Rs。ちなみに300Rsは現在のレートで800円位。日本での料金を考えると余り真剣に交渉するのがアホらしくなるが、良い経験にはなった。


 注)この年の7月に再度迎えの車がいなくてデリーの空港でプリペイドタクシーを利用したら同じ区間で800RSであった。車はエアコン付きであり立派だったが、上記の運転手に悪いことをしたような気がした。
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