始めての夜行列車  
1999年 3月  中国 重慶〜安順

始めての中国は重慶であった。重慶で3日間過ごした後、日曜日の夕方3時に重慶駅まで見送ってらった。日本人のK総経理とK’副総経理及び通訳であった。

同行するのは現地のR課長である。通訳はついてこないがR氏はこういった。
私は英語がしゃべれますから O先生(小生の事)とのコミュニュケーションは全く問題がないですよ。

今までは通訳を介して彼とは話をしていたから一抹の不安はあったがここは、現地の人々の判断に任せるしかない。乗り込んだ汽車は4人1室のコンパートメントでベットは若干シートが汚いが潔癖性でない私にとっては我慢できる範囲である。

乗り込む前に売店でビールを買ってくれと言ったら、中で売っているとの返事。中でさんざん探してやっと手にしたビールは無論冷えてはいない。幸い外気温は10℃位でビールもそれなりの温度だったので何とか飲めた。日本から持ってきたスルメと豆菓子を当てにして二人で飲む。

彼の英語は日本人よりひどい発音で紙に書いてもらっても、綴りは間違いだらけで結局漢字の筆談の方がましだと言うことが分かった。

列車は山肌を縫うように走り段々高度が上がっている。夕食時になって彼は 私はもう何も食べません。あなたもそれでいいでしょう。大食漢の中国人の言葉とは思えないがしかたなく彼の言に従って寝ることにした。

同室の他の中国人は車内の売店から買ってきた豚の煮物でぶっかけ飯を食べている。
この中国人が先ほど食べていた向日葵の種は床に散乱状態だ。が1〜2時間置きに服務員が掃除に来るのでちらかっているのは少しの間ということだ。速度変化や停発車の度によく揺れる車内ではあったが少し微睡んで朝5時に安順駅へ列車が着いた。

およそ14時間の旅であった。そこからタクシーでホテルに向かう。
チェックインの時4千元(約6万円)のデポジットを要求された。一泊4千円の宿に6泊だというのに何故だ。もとより元での持ち合わせはなくカードはVISAもJCBも通用しない。
勿論円もドルも駄目。何とか今日中に持ってくると言って部屋のキーを受け取る。

かのR課長は別の宿に泊まるから8時に一人でタクシーに乗り会社まで来てくれという。朝飯はどうするのだという事も聞く余裕さえなかった。

最初の中国の旅ははこうして始まったがその後はこれ以上のひどいめには会ってないから案外中国は慣れれば良い所かも知れない

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