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厳戒のグアム
2001年 10月6日〜9日 フジタホテル
 あの悪夢のような9/11のアメリカ同時多発テロからようやく1ヶ月がたとうとしている。
航空会社は軒並み減便やルートの閉鎖などを行っている。
関空からの手荷物検査はこうであった。バッグにはいつものようにカメラとノートパソコンが入っている。X線装置から出てきた荷物を「これはだれの荷物ですか?」「私のです」「もう一回通します」これで済んだが検査場では職員の数が多かくバッグの中を調べられている人もいた。
グアムでの入国時は特に何もなく通過出来た。しかし空港の内外は警官と軍人に護られていた。通常の2倍の警備との事であった。
そして滞在中の10月8日、米軍によるアフガニスタン爆撃が開始され、ついに事実上の戦争に突入した。

船に乗っているときクリス船長が洋上を指さして言った。「アメリカの潜水艦がパトロールをしている」。そこはアメリカ空軍基地の沖合だった。このクリス船長は、冗談が好きな陽気なアメリカ人(白人)だったが、テロの話になると真摯な態度で憂国の弁舌が尽きること事無く続いた。そして最後に「戦争を避ける有効な解決策はない」と寂しそうにつぶやいた。

空港や機内は3連休だというのに客が少なかった。因みに私の乗った飛行機の2階席は、行きも帰りもガラガラで帰りは数えてみると席数60に対し10人の客だった。投宿したホテルは10月の客のキャンセルが20%出たとの事で閑散としていた。

タモンのホテルロードは夜歩いている人は、殆どいなくて少し寂しかった。しかしどこでもゆっくりのんびり出来た。帰りはグアムの飛行場では手荷物は開けて入念に調べられ